ナガチュウ
長岡京市には4つの中学があり、一番新しいものが長岡第4中学で、我々は4中と呼んでいます。
次が3中、その次が2中です。
さて、一番古いところは何と呼ぶのでしょうか?
残念ながら1中ではありません。
一番古いところは長岡中学で、長中:ナガチュウと呼びます。
ついでながら、我が家の娘も息子もナガチュウ出身です。
さて、昔、中1から中2になろうとしているナガチュウの生徒から問い合わせがあり、電話で応対した家内が「うちは中2から高校数学に入るのですが …」と説明したところ、「分かっています。大丈夫です」との返答だったとのことで、きょとんとしていました。
なぜ大丈夫なのか?
全く謎です。
「ナガチュウにも変った子がいるんだねぇ」
などと言いながら面談に臨みました。
そうすると、話を聞けば聞くほどに食い違うわけです。
そして遂にその原因が分かりました。
その子はナガチュウじゃなくて、ナダチュウだったのです。
そうして堂垂君は稲荷塾最初の灘の子になったのです。
なんか新潟の方にも長中があるらしく、長中から灘高に行き、東大理Ⅲに進んで医者になった後に司法試験に受かって、そして知事になった人がいるという記事を読んで、思わず、過去の出来事を思い出しました。
しかしこの知事、すごい経歴で、きっと立派な人かと思えば、女性問題で辞任するとか。
単なるバカでしたか …。