使うために勉強する!

むむむむっ!

 

Carmelia のブログを読んでいると、彼女も我々と同じように英語を習って覚えたというような記述があり、非常に違和感を感じます。

なぜって、彼女はどう見てもネイティブと変わらない英語力を持っているからです。というか、ネイティブの中でも相当に教養の高い人のそれです。

しかもフィリピンでの英語の先生はフィリピン人で、決してネイティブスピーカーではなかったわけです。ついでに言えば、英語の先生が良かったわけではないとも聞いています。

それで昨日聞いてみました。

どうして英語がそんなふうにしゃべれるのか、と。

しかし、この質問では何を聞いているのかが分からないようだったので、フィリピンでの英語教育も日本とそんなに変わらないようなのに、どうして英語ができるようになったのか、と質問を変えました。

 

ショックです。

 

これに対する答えは、全く予期していなかったものでした。

一言でいえば、

それは英語を使うために習ったからよ。

といった感じでしょうか。

それに対して日本の英語教育は単に覚えるためになされているというのです。

じゃあ、日本の英語教育よりフィリピンの英語教育の方がいいと思うの?

そりゃそうよ。ずっといいわ!

ってなところでしょうか。

 

そう言えばそうだったなぁ … と自分自身が受けた英語の授業についてさまざまなことを思い出します。

決して使うためには習わなかったですねぇ!

遠い将来に役に立つかも知れないといったような曖昧な目標のために、あるいは露骨に、テストや入試のために英語を勉強したのではなかったでしょうか。

 

う~む、

 

ひょっとして、今もなお自分は、明確には「使うため」に勉強していないのではないかと感じてしまいました。

たくさんリスニングして、ちょっとしゃべる練習をして …

でも、使うためにやっているわけじゃない …

そりゃ、目標が違えば行きつくところも違いますよね!

 

Carmelia の場合、まだしゃべっていないことがいっぱいあるなと感じました。今回、その一端を引き出すことができて、思わず考え込んでしまいました。

今日も夜はカレーミーティングするので、いろいろ聞いてみたいと思います。