先生よ歴史に興味を持たせるのは難しかったのか?
松谷です。
京都は観光地だと思いますが、観光地というのは、地元の人ほどかえって行かない知らない部分もあるのではないかと思います。
今日は、妻の友人が訪ねてきてくれたので、娘も含めてお出かけしました。
彼らの宿が近いということと、うちの娘が歩き回れるということも考慮してもらって、平安神宮に行くことになりました。
さて、僕は平安神宮について何もしりませんでした。
平安神宮ってくらいだから、平安時代にできたのかなとか思ったら、なんと、1895年という明治時代に平安遷都1100年を記念してできたそうです。
1100年って何やねんと思いましたが、このように、京都の人が京都のことを全く知らないということは、場合によっては恥ずかしいと感じることなわけですね。
それは、日本人が海外に行ったときに、日本のことを知らなかったら恥ずかしいのに通じますね。
では、僕に関して、なんでこんなに京都に詳しくないのでしょうか。曲がりなりにも18年間住んでいたのに。
1つは、僕の生活スタイルが、部活、テニススクール、学校、塾、その道の途中にある本屋くらいで完結していて、それ以外の何かが入り込む余地がなかったということがあります。
2つめは、こちらの方が大きいかもしれませんが、僕が歴史に全く興味がなかったということです。当時の歴史の先生の教え方はまったく面白くなかったですし、過去の時系列や人物名を学ぶことにことさら意味を感じることができませんでした。
もっと人の感情とかと共に、そして、それと現在へのつながりがどうなっているのか、それが未来にどうつながっていくのか、そんな感じで知識を生かす流れのなかで学びたかったです。
僕自身には、単体で死んだ知識にしか思えなかったわけですね。そんな知識に脳の容量を割くのがもったいないわ。ググレばええやんみたいなね。(グーグルはまだないですけどね。)
でも、例えば次のようなことであれば少しは興味をもったんだと思います。
その当時、なんで膨大なお金をかけてそんな事業を行ったのか?、誰が首謀者なのか?、表向きではない本当の目的はなんなのか?、政府はそんなお金をもっていたのか?、民はそんなものを許したのか非難はなかったのか?大賛成なのか?、それとも許す許さないのような権利は民にはなかったのか?、いまは誰が維持しているのか?、拝観料でまかなわれているのか?、それとも税金を投入して維持されているのか?、明らかにすぐに生かされるような実利がないような大事業を行うことは現在の政府などが行うことはできるのか?、日清戦争勝利の時期と近くて全体的にノリノリになってやってしまったのか?民を盲目にさせたのはどうやったのか?洗脳か?
まぁ、まったく歴史に詳しくないので、上記の質問の答えは何もわからないのですが、上のような素朴な疑問を紐解いていき、それが現実の世界の中で生かされるような経験が人生のなかで1回や2回あったならば、きっと興味をもったと思うんですね。
今の歴史の教え方はだいぶ違ったものになっていて、年号などはあんまり重要ではないというような話も聞きましたが、皆さんは歴史に興味を持つようになっているんですかね?
今のぼくは歴史に興味はまだないものの、過去の先人の知恵を拝借することは大いに必要という認識は持っております。そんな過去の先人の知恵の固まりとしての歴史が、うまく学生に伝えられているといいなと思います。