哲学は続く
「英語はインプット中心の勉強からアウトプット中心の勉強にシフトすべし」と悟ってから、数日が経ちました。
その実行は結構難しいですね。
聞くとか読むというやり方に慣れきっているからだと思います。
まあ、徐々に変えていきたいと思います。
しかしこれに関連して、日本では大学受験を突破するために英語教育のカリキュラムが組まれていて、英語がコミュニケーションツールとしては見なされてはいないということが問題です。
こんなことは誰でも気付いていることだと思いますが、そのゆえに学び方が変になっていたんだと改めて気付きました。そしてそのことが英語習得の妨げになっていたのです。
まあ、大きな流れとしてはこれを改善する動きも学校単位で出てきているので、いずれ変わるだろうと思います。
でも、このようなことを考えていると、「数学はどうなんだろう?」と疑問に感じるようになりました。
稲荷塾も「東大・京大受験のための数学専門塾」と言っていますが、これはいいのだろうかということです。
大学受験が一つの基準を作って、それをクリアするために数学を学ぶということに疑問を感じたことはありませんでした。
しかし、ひょっとしたら本質を外しているというか、枝葉に走りすぎていたりはしないかと思い始めました。
「実は、もっと基本的なことが分かっていれば大学の数学に進んで行けるのじゃないか?」などと思うのです。
これまでは「大学入試が難しいから高校生が勉強し、それが日本の大学のレベルを高くしている」と信じていました。実際、東大・京大の学力レベルは世界トップだと思います。大学ランキングなどでは評価基準が英語圏が有利になっているのでかなり低く評価されていますが、たとえば純粋に数学力を比較するなどしてみれば絶対に勝ちます。
だけど、その基礎学力の高さが大学の数学を飲み込んでいくために本当に必要なのかどうかは分かりませんし、多くの大学生が大学に入ってからは頑張っていないということも事実だと思います。
大学で学んだことと就職してからの専門が違うことが多いとか、そもそも大学での成績が就職での指標にはなっていないことが多いということも大学生が頑張らない理由かも知れません。
よく分からないことが多いのですが、もしAO入試が主流になって、高校生が今のように勉強しなくなったとしたら、大学入学時の学力は間違いなく下がります。これはダメだとこれまでは考えていましたが、ひょっとしたらそれでもいいのかも知れません。その代わり、大学生がもっと真剣に学ぶ仕組みを作れば。
ちょっと誤解が生じやすい書き方をしたようなので補足しておきます。
たとえば京大の法学部の学生は思いっきり勉強しています(させられています?)。医学部の学生はどの大学でもすごく忙しいです。これは司法試験や国家試験が絡んできたりしているのかもしれず、そういう仕組みが作れれば大学生をもっと学問に向かわせることができるのじゃないかと思ったわけです。
まあ、大学改革は私の専門外です。外から見て感じたことを言っているだけだと思ってください。
だけど、そこに至るための数学の学び方についてはやっぱり考えさせられます。
数学はあらゆる学問の基礎だし、生活のどの場面で使うなどという具体的なことは言いにくいですが、論理的思考のベースになっています。
だからこれを学ぶことは個人にとっても大事なことだし、これを深めることが国が繁栄していくかどうかという大きな問題にまでつながっていると思うのです。
そういう意味で数学をどのように学ぶのかを考える上で、「本当に大学入試のためでいいのか?」という問いかけは考える価値があると思いました。
ただ、すぐにどうのこうのということではないので、じっくり考えてみたいと思います。