才能とは集中力である

松谷です。

才能とは集中力である。

稲荷先生の1番最初の本である「小さな数学塾のヒミツ」のなかにそんな一節があります。

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稲荷先生が、仲間の将棋の棋士をみていて、将来上にいけるかのどうかは集中力の度合いでわかるということでした。

あと、頭のいい子には中学受験をさせるな、の方には稲荷先生が小学生を見る観点がかいてあります。

目がキラキラと輝いているか。

集中力はあるか。

落ち着いた雰囲気はあるか。

この三点での判断はどんなペーパーテストより正確だということでした。

集中力が不足している場合は、早急に補わねばならないが、塾にできるとしたら、以下の2つである。

1つは先を見せてそのようになりたいという目標を持つことができた場合は大きく変わることがある。もう1つは小さな達成感を積み重ねることで自分はできるんだと思い自信を持った場合飛躍する場合もある。

しかし、根本的な集中力不足を補うのは家庭の役割である。

そんなことも書いてありました。

 

さて、僕が稲荷塾で教え始めて3年目です。上記は稲荷先生の感想なわけで、僕自身が感じるのはなんでしょうかね。

 

やはりまず集中力がある子は算数数学で伸びやすいというのを感じます。集中力というと、こちらの説明をぐっと聞いたりするときの様子でも感じますし、周りを気にせず問題に20分くらいずーっと立ち向かえるかどうかというのでもわかります。1分くらいしたらすぐきょろきょろしたり、すぐ横としゃべったりというのではなかなか難しいです。

 

例えばたった1時間の間に頻繁にトイレに行くような子には、あー集中してないんだろうな伸びにくいなと思います。親にやらされてるのかなって感じます。

 

あとは、基礎学力に関連しますが、稲荷塾のシステム上、単純な掛け算割り算がすっとできない子も伸びにくいと感じます。

 

なぜなら単純な掛け算割り算に時間がかかる子は進度が極端に遅くなるからなんですね。小学算数はそれ自体がスパイラル的に学べるようになっていますので、ある一定以上のスピードで進めていたら、自然と忘れそうな頃に復習できる形になっています。しかし、進度が遅い場合、もともと稲荷塾では宿題がなく演習量も少なめに設定してあり、さらにスパイラルによる自然な復習もできないことになるので定着が困難になります。その場合は家庭でドリルなどをやってもらうか、白紙のプリントなどを渡して復習してもらったりする形になるかとは思いますが、我々で何か強制したりはしていません。現状では、そこまで、手取り足取りの塾になっていません。

 

あとは、素直な子が伸びるんではないでしょうかね。壁がないというか。新しい概念と自然と相対することができたり、自然な疑問を持てたり、こちらの言うことを割と自然と飲み込めるというか。小学算数とかは、学校とか別の学習で先にやっている人はいますから、その出来だけで何かを語れないですが、中学数学とかは、だいたいの小学生については、未知な領域なわけです。

未知な領域でのその子の未知なものに相対する姿勢を見るとなんとなくその先が想像できます。

 

あとは、稲荷塾は、自ら質問をしたりしてこちら側とスムーズにコミュニケーションを取れる子が伸びやすいシステムになっています。機械学習や映像授業などと違って、どうしてもコミュニケーションが取れない子は受益がしにくい形になっています。もちろんこちらが新分野の説明をしたり、詰まっているなと気付いたら教えたりしますが、こちらで気付かないときもきっとあると思います。その場合に、誤魔化さないできちんと分からないところを自分で認めて質問できる子が伸びるようになっていると感じます。(別のシステムならコミュニケーションを自らとろうとしなくても伸びるのかもしれません。)

 

あとは、そもそもの理解能力の差については、どうなんでしょうかね。まあ8歳くらいまでに大学受験などに必要となるようなタイプの理解能力が遺伝や環境で決まってしまうというような言説もあります。実際、同じ小学3年生や4年生を教えていても残酷なくらいの差があるのも感じます。ただ、それはそもそも現在の大学受験がイビツなのかもしれませんね。

先生の書籍にも書いてありましたが、理解能力=才能ではないですからね。

まず、大学受験での発揮能力に関してだけ言っても、理解能力とモチベーションや自己管理能力を含めた継続力が合わさったものとして現れます。

もっといえば、「社会で活躍する能力」と「現在の大学受験に対する能力」を比べるとかなり乖離は見られますからね。うーん、まあ、大学受験改革とかありますしね。

 

でも、親としては結局自分の子どもを信じて、自分の子どもの目が輝く環境や分野や才能が必ずあるはずと信じて、時に手伝い時に見守り時に闘うしかないのですかね。

 

それは、僕もそうです。親として娘の才能がどこにあるのかわかりませんが、決して勉強の才能がなくてはいけないと決めつけるのではなく、幅広い視野を持ちたいなと思います。

とはいっても、算数数学は得意であって欲しいなとか思ってしまいますがね。。。それが親のエゴなわけですね。。。

あと、自分自身も教える能力をガンガン磨いて一生の仕事にしたいと思ってやってるわけですが、そこに本当に才能があるかというとかなりクエスチョンマークではあるわけですけどね。。。

まあ、不安ながら進まなければならないというのは、子育てにしても自分のことにしてもそうですよね。それでも、自分はこうするんだと決めて進んでいくしかないと。そうするうちに周りが教えてくれるわけですよね。

 

はっ、長いダラダラとした文になってました笑

ではでは。