足が速いのも勉強が出来るのも1つの個性
松谷です。
稲荷塾は足が速い人がいます。
勉強ができる人もいます。
一般的に、小さい頃は、足が速いことにみんな憧れを持つ気がします。小学生のうちは特にその傾向が強いかもしれません。
そのうち足が速いことにみんながみんな価値を置くという状態ではなくなります。
中学生以降は、重視される価値が、容姿がいいこととか、クールであることとか、華やかなスポーツ(サッカーとか?)ができるだとか、勉強ができるだとかそういったことに徐々にシフトしていく印象です。
さらに、年齢が進むと、性格的なものや、話していて楽しいかどうかなども重視されだして、さらに進むとお金を持っているかなどになり、さらに年齢が進むと、健康であるかとかが重視されるのでしょうか。
だいたい全体的な傾向としてそう思いがちな人が多いのかなと感じます。
別に何か主張したいというわけではないんです。
稲荷塾に来ている子で、たぶん学校で勉強ができるだろう子が何人か、「自分の足はそんなに速くない」みたいなことを言っていたんですね。
それで、ふと、あ~、そうだよな。人には「~に向いている」とか、「~を頑張りたいと思える」、みたいな分野があるのが普通だよなと。
勉強ができるからといって、足が速いわけではないし、逆もそうです。
勉強に向いている(自然にやってたらできる)、もしくは、勉強ができるようになりたいと思える、のも一つの個性に過ぎないですよね。
最低限は誰でも出来るようになりますが、それ以上を求めるべきかは、人に寄りますわな。そもそも高校受験や大学受験は興味のない分野まで、全分野勉強せねばならんですし。
高校受験なんて、副教科も全部できることが求められていますものね。稲荷塾にはオール5っぽい人が結構いるので、素直に尊敬しますが。
塾に勤めている人間は、どうしても価値観が偏りがちになるなとも思いますので、自分の子どもも含めニュートラルな視野をできるだけ持ちたいなと思います。