心の栄養はありますか?
松谷です。
「心の栄養はありますか?」
心の栄養と聞いたら、家族とか、恋人とか、子供とか、人とのふれあいとか、キズナとか、そういったことが、瞬時に思いだされると思います。
しかし、今回の「心の栄養」は、もう少し即物的な、勉強やスポーツなどを続けていくためのちょっとしたもののことを言っています。
つまり、勉強やスポーツなどで、多少しんどいときがあったとしても、それを続けさせるような「心のインセンティブ」をちょこちょこ得られていますか?
ということを問うています。
もちろん、勉強というそれ自体がすごく刺激的なものですし、面白い側面もかなり多いです。スポーツも例えばボールを打つこと自体が楽しいです。
だから、何も考えなくてもやり続けられますよ。
というのが理想の姿なのかもしれません。
でも、そんな風にいかない人、もしくはそんな風にうまくいかない時もあるのではないでしょうか?
たとえば、今、僕は、もう一度真剣に取り組んで、本当にちゃんと英語ができるようになりたいなと思って、学習を再開したところです。(数学はもちろん仕事としてやりまくりますよ。)そんな僕にとって、本物を求めてのリスニング学習とか、スピーキング学習は、本当に壁との闘いです。特に、リスニング学習は壁との戦いです。惨敗し続けています。惨敗度合いで言うと、よっぽどのマゾじゃないと続けられないんじゃないかってぐらいです。
そんな感じで、学習の過程で叩かれまくっているとどうしても気持ちが萎える時もあると思うのです。
でも、昨日、こんなことがありました。
たまたま、地図を持って歩いていた外国人の人に声をかけられて、オススメのレストランを聞かれました。
話してると、どうやら京都でしか食べられない料理が食べれるところを、お金には糸目をつけないので教えてくれということでした。そして、地元の人だから知っている場所があるんじゃないかということで、尋ねられた感じです。
まぁ、はっきりいってそんなところは知らなかったんですね。
でも、なんとかネットで探して、方向が一緒だったんで途中まで送っていきました。
その間に彼がインド系アメリカ人であり、シリコンバレーでテクノロジー系の会社で働いていて、観光で京都に来たこととかを聞いたり、僕が何の仕事をしているかとかを言ったりしてました。英語喋れる人がいなくて困ってたんだよみたいなことも言ってました。
そして、最後に、お世辞なのはわかっていますが、英語が本当に上手いね、と言ってもらえて、握手をして、今度また、京都に来た時は、観光の案内をお願いしたいから頼むよ、ってな感じで、Eメールアドレスを交換して別れました。
まぁ、ほんとどこにでもある光景だとは思いますが、なんとも嬉しかったですね。
彼が、相当早口で喋ってくれてたのも嬉しかったですね。TOEICとか英検とかよりはかなり早口でしゃべってたと思います。かなりギリギリだったのですが、なんとかついていけた感じでした。
そして、自分も、思ったよりペラペラとしゃべれてたなと感じました。
もちろん、そんなものが大したレベルでないことは、自分が1番よく知っているのですが、自分なりに堂々と渡り合えたのがとても嬉しかったですね。
つまり、これが心の栄養です。こういったちょっとしたことが、心に残って、明日の勉強へのさらなるエネルギーになるのではないでしょうか?
もちろん、このようなリアル体験で、しょっちゅう栄養が得られることはないかもしれません。
でも、数学だったら、
稲荷塾の小テストでいつもより点数がとれた、なんていうのだって十分に心の栄養になりうるんじゃないかなと思います。
あとは、人からちょっとしたことで褒められたり、認められたりというのも、正直いいモチベーションになるんじゃないかなと思います。
(もちろん、意味ないところまで褒めすぎるのはよくないと思いますが、的を得た、適切な褒めならば、それは、自分の成長を気付かせるいい指標になると僕は信じています。)
最近、心の栄養は得られていますか??