松谷の中学受験は?(前編)

松谷です。

実は昨日、大学の同期と会う前に、個別指導塾時代に、ぼくの教室で講師として働いてくれていた方と、ランチをしていました。

彼は大学を卒業して、京進で働くことになって、やりがいをもってやっていたのですが、急遽親父さんと、フィリピンでリゾート開発の仕事をすることになったらしく行く前にありがたいことに挨拶に来てくれた感じです。

そのときに、中学受験って結局必要なんかねぇ必要じゃないんかねぇ、どうなんだろうねぇという話をしていました。

 

稲荷先生が、

「頭のいい子には中学受験をさせるな」

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という書籍を書いていらっしゃるのもありますし、やはり、不健全な中学受験はよくない側面はあるなと思います。

 

どのご家庭も保護者さまも、自分自身が通ってきた道をできるだけ肯定したいという感情があり、中学受験した方は、それをご子息にも進めることが多く、そうでない方はそうでない方向をすすめるケースが多いです。

 

一応僕は、個別指導塾勤務時代に、様々な中学受験組、中学受験しない組、その子たちが中学以降になってからどうなったかを見ていますし、講師として働いていた方や、大学の同級生の中にも、中学受験組とそうでない組がいっぱいいて観察してましたので、もう少し客観的に見れる部分があると思います。

 

しかし、そうはいっても、まず、自分の体験を掘り起こしてみないとなとも思います。

 

ということで、自分の場合どうだったかというのを遠い記憶を思い起こしながら述べてみたいと思います。

 

ちなみに、結果的には、僕は中学受験受験をして、洛星というところにいきました。

 

 

中学受験の始まりのようなものといえば、小学校3年と4年のときにいた、週一回の算数の塾でした。

 

確か、京大の卒業生の若い2人が脱サラして始めたばかりの塾だったかと思います。

 

小学校では決してやらないような、頭をひねるパズルのような問題を、毎授業、毎授業考えて、できたらハンコがもらえるみたいな感じでした。ふだんは解けたらハンコ1個とかなんですが、難しい問題には、早いものがちで1位にはハンコ20個みたいな制度があってすごく楽しくすごしていた気がします。

 

確か1000個貯まったら電子手帳がもらえるみたいなやつで、必死に貯めていた気がします。

 

その塾にいたときに、算数ができるようになったかどうかを測る機会はなかったのですが、楽しかったことだけは覚えています。

 

小学校四年が終わり、次小学校五年が始まるくらいのときに、中学受験をするということで、京進という中学受験総合塾にいくことになりました。

 

ちなみに僕はノートルダムっていう私立の小学校に行っていたので、いずれにせよ外に出る必要があり、受験せずに地元の公立中にいくか、受験するかどちらかだったんですが、受験するのが主流派だったからか自然に受験することになりました。

 

京進では、入ったばかりのときに、初めてテストらしいテストを、受けましたが、算数塾で頭をひねってたからか、簡単に感じ、いきなり全体で10番以内だった気がします。国語は普通よりはいいけど、まぁまぁという感じでした。

 

小学校5年から?は、理科や社会も勉強するようになりました。

で、まぁ授業を受けてたんですけど、正直、すごく面白かったと思います。

 

学校で習わないようなことや、先取りしたことや、面白い覚え方とかを教えてくれて、楽しいなあと感じてました。

 

学校でも、その成果は顕著に現れていたと思います。

 

算数は、45分の試験はだいたい10分くらいで終わって満点とれてたので、残りは寝てました。理科とかも授業で誰も答えられない問題を、何回も答えられて、何やら自分が賢くなったような気がして気分が良かった気がします。

 

今思うと非常に良くなかったと思ったのは、学校の先生の授業のつまらなさに、うんざりしてしまって、何か見下したような態度を取るようになってしまいました。教え方などに関しても自分の教え方の方がいいと主張して、教師と口論していた気がします。クソガキですね。。。。

 

まぁ、そんな感じで小学校6年になりました。

 

小学校6年になると、中学受験塾は、授業時間が膨大になります。

 

たしかほぼ毎日で、土日のどちらか?両方?は、朝から晩までだった気がします。

 

さて、これが、よく非難の対象となる、中学受験の詰め込みです。

 

で、僕自身のそのときの感想ですが・・・

 

実は、楽しい、面白いということしか覚えていません。

 

嫌だと思ったことが、本当に一回もなくて、特に小学校6年になってから全科目の担当になった先生の教え方がうまくて、どんどん吸収できていく自分が面白くて仕方なかったんだと思います。

 

あとは、学校とは違う友達がいて、休み時間とかにしゃべるのがほんとに楽しかったです。

 

また、実は、僕はそのとき勉強のやり方を知らなくて、ただ、授業中に先生の話を一生懸命聞いて、その場で考えて問題を解いているだけでした。だから、実は復習するという勉強の仕方があることを知りませんでした。だから、授業時間が多かったのは、ある意味ありがたかったんだと思います。家にいても勉強するやり方がわからないわけなので。

 

そんなこんなで、入試の時期が来ました。

 

僕は洛星が第1志望だったんですが、日程や滑り止めのこともあり、

東大寺と、洛星と、洛南と、高槻を、受けることになりました。

そして、何故か塾側に受けてくれとせがまれて、ラサールを受けることになりました。飛行機代も出してすごいなと思いました。合格実績をとりたかったんだと思います。

 

そして、ここで、調子に乗っていた僕は人生が甘くないことを知るのです。