価値ある仕事って …
仕事って何でしょうねぇ …
先日、Carmelia と話していたとき、考えさせられることがありました。
息子は京大の理学部院生で次2回生になります。つまり来年卒業ですが、その後の進路を迷っていて、稲荷塾の仕事をすることに傾きつつあります。
これを聞いた Carmelia が「もったいない!」と日本語で叫んだのです。
う~む。
もったいないんですかねぇ …
京大の理学部は、大学に残って研究者になろうと思っている学生の割合が他の学部に対して高いと思います。特に大学に受かった当初はかなりの割合でそう思っているはずです。
ところが2回生になるまでに悩み始めるのです。
要するに、それが容易な道ではないことに気付くということです。
うちの息子もそうでした。そして院生になってみれば、ますますその現実に打ちのめされるのです。
今やっていることがそこまで好きなのか?
そこまでの能力が自分にはあるのだろうか?
ちなみにチューターの息吹なんかは何の躊躇もなくまっしぐらにその道を進んでいます。これはこれで素晴らしいことですが、多数派ではないと思います。
で、稲荷塾の仕事って、京大の卒業生がする仕事として「もったいない」というようなものなのでしょうか?
確かに「塾講師」という響きは今一ですが …
何より、稲荷塾で働いている Carmelia にそれを言われたことが私の上に響いてきます。
一応、稲荷塾は受験産業というカテゴリーに分類されると思いますが、Carmelia はそれに否定的です。
もちろん、文化背景が違うということもあります。フィリピンには受験産業なんてないでしょうし …
しかしそれ以上に、「日本人はテストのために英語を勉強しているから話せるようにならない」とうところが日本の英語教育の失敗の本質だと考えており、そういうこともあって受験産業に対して否定的なんだと思います。
「じゃあ、フィリピンの英語教育の方が日本の英語教育よりいいということなの?」
「もちろんよ。断然いいわよ」
ってな感じです。
フィリピンではコミュニケーションの道具として英語を学びます。テストのためではありません。だからみんな話せるようになる、というわけです。
でも、受験によって育つ部分も多いと思います。
何というか、与えられた仕事を期日までに仕上げる能力を鍛えると思うのです。
だから、日本の大学生は遊んでいるとも言えますが、たとえば京大生であれば、その時点でそれなりの仕事をこなせるだろうと信頼することができます。
もちろん、数学自体から学ぶことも多いし …
それに、稲荷塾は日本の教育を変えるという大きな目標を持っています。
その第一歩がオンライン講座です。
稲荷塾が開発した反転授業は秀逸です。これを全国に広げようとしているのです。
ただ、宣伝の方法がなく、ホームページでブログを書いている程度だったので、事実上全くの無名です。
これを打開するために、この夏から秋にかけて稲荷塾から3冊の本を出します。これを宣伝のツールにしようと考えており、私個人は、間違いなく勝つと確信しています。
Z会や進研ゼミなんかとはサービスの質がまるで違うので。
ということで、稲荷塾の仕事、全力で取り組む価値があるし、面白いと思います。
少なくともそう感じて私はやっています。