コミュニケーションが学力を決めてはいかんよなぁ
松谷です。
分からないところを聞けない子っています。
一方で分からないところをどんどん聞ける子もいます。
まあもちろんどこが分からないかを判断できない子もいます。
そんなこんなでテストや演習があって、分かる分からないできるできないがあぶり出されます。
それでも聞けない子もいます。
そういう場合おせっかいをしていろいろやって、なんとかしようと思ってやっています。
ただ、そういうおせっかいを焼かなくなった場合、聞けないタイプの生徒はなかなか伸びにくくなってしまいます。(焼きますけどね。)
それって、分からないところを聞けるというコミュニケーション力が学力に影響を与えてしまっているということですよね。
それってなんだか危険だなあと感じてしまいます。
そういう状況だと、生徒が、教える人にある程度聞きやすいと感じる必要がありますし、教える側は生徒が聞きやすいと感じてもらおうと思うと多少厳しくしにくい面も出てきてしまうのかもしれません。人間的相性の問題もかなり出てきてしまいます。それはそんなに良くないなぁと。
特に女の子は直接教わる場合は女の先生じゃないと拒否反応を起こすケースも結構見てきました。
また、理系の子とかの印象って、ちょっとコミュ症っていうかそういうイメージの人が多いですからね。少なくとも昔はそうでした。
うーん。
いや、生徒とコミュニケーションをとりながら教えて、分からないところが分かった様子が見て取れるのが楽しいし、それが塾講師の面白さだなと感じます。それがないと塾講師やってても正直つまらなそうだなとは感じます。
ただ、コミュニケーションが取りづらいことが成長のネックになるのもなんだか嫌だなあと。
まあ、これからの時代は協同して学んでいく時代だと思うんで、コミュニケーション、プレゼンテーションなどが必要なんでしょうから理系文系関係なくそういう力が必要という面はあるかもしれませんがね。
あっ、塾講師がコミュニケーション力を引き出させてあげるように開放してあげればいいのかな。そういう力がいるのかもしれませんね。
もやもやと考えていることを書いてみました。