歴史について語る

18才人口がどんどんと減少する一方、大学の定員はほぼ一定だったために、2007年に両者が並ぶことになりました。

予備校は、基本的に大学に合格しなかった生徒を集めて運営していたので、その絶対数が減ってしまうと大打撃を受けます。

私の所属していた関西文理学院も2007年を前にして、毎年数億の赤字を出しながら闘っていました。

宣伝費に莫大なお金がかかるのに、私立文系クラスなどは5クラスあったのが4になり3になり、遂には関関同立クラスのみになるという状況の中でです。

まず、職員や講師をカットすること、それから浪人生コースに加えて現役の高校生を集める夕方からのクラスを作ることに注力しました。

しかし、なかなかうまく行きませんでした。

前者には限界があること。それから後者には構造的な欠陥がありました。つまり、人気のある講師であればあるほどに、夜の仕事を嫌がりました。

私も予備校講師になった最初の2、3年は高校生クラスのコマも持っていましたが、その後は拒否しました。運営が稚拙で、やってられないと感じたのです。要するに予備校とは、もともと生徒が浪人してくれた方が儲かるので、受からせる体制が作れなかったということです。

端的に言えば、まず、コマ数が不足していました。レギュラーコースは年間26コマで、まるで不十分でした。「受かりたければ、夏期講習、冬期講習、直前講習を取れ」というわけですが、機能していたとは言えません。その他では、雰囲気が悪かったですねぇ。広い校舎にわずかの生徒を集めて、しかも講師は生徒の名前すら知らないのが当たり前の予備校にあっては、講師と生徒の人間関係を作るのは難しく、それでいい授業をしろと言っても無理があります。

結局、関西文理学院も持ちこたえることができず、2010年に閉鎖になりました。

時を同じくして、同様の規模の予備校が次々に閉校になって行きました。

代々木もつぶれました。

京都で生き残ったのは、河合と駿台だけです …。

 

松谷君が「歴史」について書いていたので、思わず予備校の歴史について語ってしまいました。

 

えっ?

 

そういう歴史の話ではないってか?

 

ps アイキャッチの写真は「カンブリ」こと関西文理学院の校舎です。