藤井聡太「なぜ宿題をやらなければならないのか?」

松谷です。

授業中に理解しているのに、なぜ宿題をやらなければならないのか?by藤井聡太

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はは、便乗してみました笑

 

藤井くんは、こんなこと言ってましたね。学校の先生方困ったでしょうね。笑

 

実際しばらくやらないことでOKだったみたいですね。でも、結局、担任団や偉い人も含めて30分話し合って、結局やることに納得してやるようになったそうです。

 

ただ、休み時間に全部やってるみたいですから、きっとかなり少ないんじゃないかなと思います。

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レベルは違いますが、僕ですらこういった感じのこと小学校の先生に言ってましたね。

 

小4か小5くらいのとき、漢字を書かされる宿題か何かがあって、無意味に多いと感じた自分は、

 

こんなの手が疲れるだけで覚えることに対して何の意味もない。やる意味を全く感じないから、やりません。その宿題の意味のなさをテストで証明します。

 

みたいなことを言ってましたね〜。

 

まぁ、ただ、所詮凡人だった僕は、何もやらないことによって、漢字テストの点数が、98点くらいから92、3点くらいに落ちてしまいました。

 

そこを、「ほら、言ったじゃない!!」と担任の先生に攻められて、結局泣きながら宿題をやらされるはめになりました。

 

まぁ、はっきりいって全然納得はいってなかったのですが、結果をもとに責められてどうしようもなかったです。

 

今考えれば、全くやらないのと、効果が薄いけれどたくさんやる、のであれば、結果が違うのは当たり前なんですね。

より効果の高い自分で発明したやり方での少ない量の宿題と、先生のやり方を比べて説得すればよかったですね。まぁ、それが思いつくほど賢くなかったんですねぇ。

 

 

さて、話を戻しまして、藤井くんの疑問がありましたね。

 

 

授業中に理解しているのに、なぜ宿題をしなければならないのか?by藤井聡太

 

まぁ、宿題や予習をやる理由はしっかりありますよ。でも、まず聞きたい。そもそもあなたは授業内容を理解しているのですかね?

 

そうでないならば、そもそも疑問を発する地点にも立てません。

 

でもって、もうひとつ言います。

 

正しい宿題や予習は、先生のためにやるものでも、親のためにやるものでもありません。

 

自分のためにやるものです。

 

だから、どれくらいやりこむかは自分の状態に寄るのも当然なのです。

 

パッと理解できる人、パッとやれる人は短い時間で済むかもしれません。粘らないとわからないひとは粘るべきです。忙しいひとは自分の状態を鑑みて優先順位をつけてやるべきことをやるのです。人に聞かなければわからないひとはそうするのです。

 

すべては、自分のためです。

 

中学生から高校生あたりは、大人へ変化している途中だと思います。

 

もしかしたら、先生とか親とかそういったものに無意味に反抗したりするものかもしれません。

 

でも、そんなのはどうでもいいことです。

 

宿題や予習は一点の曇りもなく自分のためなのですから。

 

自分の本当の利益を迷わずとれるような大人になっていってください。

 

 

あっ、少し嘘つきましたね。みんな予習してたら、集団授業が進めやすいですね。だから先生のためにも一応なりますね笑

 

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“藤井聡太「なぜ宿題をやらなければならないのか?」” への5件のフィードバック

  1. 吉祥寺五右衛門 より:

     面白いエピソードでした。小学生の頃にこのような大胆な発言ができるところにスケールの大きさを感じました。ご自分のことを凡人と卑下されていますが、十分に非凡であると思います。藤井先生にも共通する才人の片鱗を見る思いです。

     藤井先生の凄いところはあれだけ驚異的な成績を残しても、まだ自分が強くないと思っていることです。

     トッププロを含む他の棋士に力の違いを見せつけるような勝ち方を何度もしても、決して相対評価で自分を強いとはせず、稀に負ける時に犯した小さなミスを悔やみ、何故、自分はこんなにも弱いのだろうかと自責の念に駆られます。

     藤井先生は自分を他者と比較して満足することを好まず、とてつもない野望(=驚異的な強さを身につけること)を抱き続けていることです。ある程度、成長した後、もうこれで十分と納得しないところが天才たる所以でしょう。

     恐らく今後、同レベルの天才棋士が現れぬ限り、近い将来に藤井先生が8つのタイトルを独占する日が来ます。

    • 松谷 より:

      コメントありがとうございます!
      僕も恥ずかしながら小さい頃は尖っていましたね笑
      藤井先生は本当にすごいですよね。年齢とか関係なく。将棋のようにシンプルに実力勝負の世界に生きていると本当に正しいものというか本質を見抜く目が養われるような気がしますね。

  2. kei より:

    はじめまして。未就学児一児の母親です。
    宿題=家庭学習は公教育で義務化されていないそうです。つまり、宿題出すのは先生の義務ではなく、先生のサービス精神でまかなわれている事のようです。ということは、宿題を出してくれることに先生に感謝こそすれ、先生に対して批判をすることは無意味かつ失礼なようにも思えます。本来ならば、家庭学習の監督は保護者がするべきで、宿題をしないのなら不要な旨を担任に伝え、成績も上位をキープするのが筋ではないかと思います。
    現状、家庭の不首尾のしわ寄せがかなり先生にのしかかっていて、先生の労働環境の悪化に繋がっているように感じます。

  3. kei より:

    他国の教育事情も興味があり、色々ウォッチしているのですが、下に合わせる日本と対極の上に合わせるシンガポールでは、小学校入学時に選抜試験があって能力毎に振り分けられ、厳しい試験を乗り越えなければ下手すると中学にも上がれず、最終学歴が小学校になる恐れもあるようです。強力な学歴社会なので、そうなるとリベンジの可能性もなくロクな仕事につけず、社会福祉も薄いので病気でもしたら高額な医療費も払えない人生になる可能性もある。そのため、家庭では保護者が血相を変えて、家庭教師をつけるなりして勉強させてるようです。(逆に高学歴になると富裕層の仲間入りの可能性もあり)
    そういう事情も知ると、日本人は公的サービスにすごく頼っていて、ほとんど甘えのようにも見えてしまいます。勉強が自分のものだという切実感が持ちづらいのかもしれません。

    • 松谷 より:

      当時の僕を含め日本の子どもは甘えてるのかもしれませんね。勉強は生きるためにするのが当たり前という感覚はないでしょうし。

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