何かが起こる予感

いや~ぁ、今日は忙しかったですねぇ …

しかし今、午後8時になって急に余裕が生まれました。それで何かを書こうと思うのですが、いろんなことが頭の中をぐるぐると回っていて、上手くアウトプットができません。

とりあえず、明後日9月2日(月)で上半期の授業が終わります。そして9月3日(火)から8日(日)は塾の秋休みになっており、下半期は9月9日(月)から始まります。

 

この前、プレジデントファミリーが医学部生の生活を特集するということで、チューターの増見さんを取材することになり、そのアルバイトの様子を撮影するために稲荷塾も少し写りますと書きました。

こういう出来事、つまり、通常あまりないようなことが9月にはほかにもあります。

テニスで知り合ったある社長さんに呼ばれて会いに行くことになったり、友人が国税局を退職して独立することになり、今後お世話になることになるかもしれないという可能性を感じつつ会うことになったり、また別の友人に講演依頼を受けたり、という具合です。

 

まあ、刺激的な方が楽しいので、どんなことにも挑戦的に取り組んでみたいと思います。

 

それとやっぱり気になるので書いてしまいますが、「受験のために英語を学ぶのは方向違い」これは明らかですよね?

英語はコミュニケーションのツールなんだから、使うために学ばないと意味がないし、そういう意味のないことをやって来たから、何年学んでも英語が喋れないし聞き取ることもできないというおかしなことになっていたのです。

逆に使うために学んでいたとすれば、読み書きももっとスムーズにできるようになったでしょう!

でも、数学も受験のために学ぶのは方向違いなのでしょうか?

そうかも知れないし、そうでないかも知れないし、よく分かりません。

少なくとも、「受験は知りませんが、数学を教えます」と宣伝して生徒が集まるような気がしません。みんな東大や京大に受かりたいから稲荷塾に来ているのじゃないかと思うのです。

なかにはケンシロウのように純粋に数学を学びに来ている生徒もいるかも知れませんが …

でも、「受験のため」を取っ払ってしまえば、別の学び方があるような気もします。そして今はその方法を考えることにわくわくします。一気に大学の教養ぐらいまで行けてしまうような …

そもそも大学の数学は学びにくいです。

大学の数学の本は志賀浩二さんの本のように読み物調のものもありますが、大概は無味乾燥な説明があって章末に問題が並んでいるという形式をとっています。よっぽどの気合を入れない限り読み進むのが難しいです。

これがもし「稲荷の独習数学」のように書かれていたらどうでしょうか?!

私が学生の頃にそんな本があったらどんなに嬉しかったことでしょう!

そんなことでチューターののぶきに「お前、大学の教養の数学を独習数学の形式で書く気ない?」などと聞いてみました。

ポジティブでしたねぇ!

のぶきは京大の理学部数学科に進みます。まだ2回生ですが。

そして非常に優秀です。

こんなことを考えていたら、何か楽しくて仕方がありません。何かが起こるかも知れません!