教育って?

?会という通信添削の大手があり、そこが塾と予備校の中間的塾を作るということで1994年12月に冬期講習から大阪の南方で講座を開講しました。

塾では授業のレベルが保証できず、予備校では生徒と講師の距離が遠過ぎるということで、両者の欠点を補ったものを作ろうとしたのです。

この立ち上げは数学、英語、国語の3人の若手予備校講師で行ったのですが、その数学の講師が私です。

生徒募集はダイレクトメールを中心に行い、そのネームバリューのおかげで驚くほど多くの生徒が集まりました。灘の子もいっぱい来ていました。

そして春になりレギュラーコースの募集期に入ると、選抜テストにあふれるほどの生徒が集まり、ある生徒は何度落とされても次のテストを受けに来るというような現象も起きました。

当然、実績も出ます。優秀な生徒が集まっているからです。ある年は京大理系クラスで15人中14人が受かるということもありました。

じゃあ、教育の質が高いのでしょうか?

皆さんもご存知の通り、?会は、ある程度出来上がっている生徒に対して難しい問題をぶつけて「どうだ、お前たちまだまだだろう?!」と刺激を与えるのが得意なところで、その筋道を作り上げていくノウハウというものは持ち合わせていません。

上記塾のテキストもそういうノリでした。

表記法においても内容においても大学の数学がちらちらと顔を出し、いわゆるかっこをつけているようなテキストでした。

これを私の師匠のD先生は批判しました。生徒数増加に伴い、D先生にも?会に参加してもらおうとして誘ったのですが、テキストの件に始まり、これでは話にならないとのことで、結局、D先生は参加されませんでした。

これをきっかけにテキスト作りの基本的考え方をD先生から私は学び、?会のテキストも自力で作り直すという作業を始めました。

で、教育の質ですが、どうだったのでしょうか?

実績は出続けましたし、活気はあり、楽しかったと思います。

でも、稲荷塾の成長と共に私が去り、英語のT先生が去り、国語のS先生がやめ、どうも雰囲気が変わってしまったようです。テキストも元のノリに戻ったようです。そして生徒は集まらなくなり、塾の名前も変わりました。

 

最近、教育って何だろうと考えます。実績が出たらいい教育なんでしょうか?

優秀な子はどこにいても頭角を現し、逆に、どんなにいい環境を与えてもダメということもあります。

つまり、塾にできることは大したことではないのではないか、などと思ってしまうのです。

それでもいい授業、いいテキスト、いいシステム、いい関係 … を目指したいし、何と言ってもやっている我々自体が楽しいと感じていたいと思います。わがままでしょうか …