講師との合う合わない

松谷です。

今日は、東京で大学時代の友達が起業した会社にお呼ばれしていろいろ話す機会がありました。(ブログで何回か出ているatamaプラスという会社です。)

こんな感じのオフィスでした。

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なんと最先端のオフィス!!芝生!バランスボール!クッション!!

 

その後、昼飯を食べて意見交換をしながら、成功するためには、彼らのように真摯に向かっていく姿勢がどんな企業でも塾でも大事なんだなという当たり前のことをまず思いました。彼らのようなピカピカの経歴でも本当に真摯にやっています。(東大京大卒業してマッキンゼーとかボスコンとか総合商社とかマイクロソフトとかもうエリート中のエリートという感じなのに!)

 

それ以外に2つ思ったことがありました。

1つは機械学習においては、講師側の疲弊がないということです。

理解に苦戦している生徒の場合、教えてできるようにさせるというのはかなりハードです。教えようとするたびに、基礎の基礎の部分の勘違いが頻発し、それを根気強く修正し続けなければならないからです。実際、一生懸命教えてもなかなか身につかないということがよく起こります。ただ、それを諦めずできるまで教え続けた場合、講師側は、体力的にも精神的にもどうしても疲弊してしまいます。しかし、機械学習なら、人数の制限なくゴールの遠さに苦しむこともなく何回も何回もミスを指摘し続けられるのです。それは羨ましいことだなと感じました。

 

 

もう1つは、機械学習には生徒と講師の相性が良い悪いというのがないということです。

一般的に生徒と講師には、相性があると思います。

教え方をアジャストできるできないは技術的な問題も孕んできますが、それをクリアしたとしても、人間的な相性があります。

ねちっこい性格が嫌だとか、いつも怒られるのが嫌だとか、顔が嫌だとか、なんか生理的に受け付けないとかいった類のことが機械相手にはないですからね。

もちろん機械学習に合うか合わないかという問題はあるかもしれませんが。(また、T進にバイトで長く勤めていた人が映像授業に合って楽しんでやったとしても成績が上がるかは人に寄るとも言ってましたね。)

 

以前勤めていた個別指導塾では、先生を何人かあてがったうえで、生徒に良かった先生を選んでもらうというシステムをとっていました。

そうすると教え方うんぬんを判断する以前に性格的な部分とか生理的な部分とかも大きなウェイトを占めていましたからね。長くリラックスして勉強するためにはそんなことも大事なのでしょう。実際には指導内容によっては選べるほど先生を用意できないのはどこも抱える問題ですが。

 

稲荷塾だと、高校数学以降だと僕か稲荷先生しかいません。中学数学の各曜日のチューターは3人ですし、小学生部は僕かチューター1人です。どの人もしっかり教えられますし、性格的にも好き嫌いが出にくい人たちだとも思いますが、それでも誰とも合わなければ稲荷塾と合わないということになってしまいます。

これは、稲荷塾に入れる生徒の間口を狭めているとも言えます。

 

まあ、ただ、我々は我々の責任のもとでやっています。

 

きっと我々と相性が合ったときには、この人たちのもとだからもっと頑張りたい、この人が言うならやっておこうかとかいう生徒側の気持ちが出てきて、じゃあこっちもさらに精魂込めて教えるぜ!という相乗効果が出てくると思うんですね。

そういう生徒を1人でもサポートできたらいいなと思います。 生徒の前向きな気持ちがあれば講師側の疲弊なんて大部分はなんとかなりますしね!

 

彼らに負けないように頑張ろ!

うす!!