落ちこぼれるという概念

松谷です。

あるレベルやあるペースが設定されているとどうしてもそれについていけない人、遅れる人が出ます。そのなかでも特に遅れてしまう人が出る場合もあります。(逆にペースが遅すぎるレベルが低すぎると感じる人もいます。)

 

それにより、落ちこぼれる、という概念が生まれます。

 

もちろん、そういう概念が出て欲しくないとどんな教育関係者も思っていると思います。

 

そういうわけで、全個人が自由に自分のペースで見れる映像授業だったり、自分のペースで授業が受けられる個別指導の授業だったりが、流行っているんだと思います。

 

ただ、たとえば、ある特定の大学の大学受験に現役で合格するみたいな目標を設定した場合は、どうしても、あるペースやレベルを設定しないと、物理的に間に合いにくいみたいなこともあります。

 

そういうわけであるペースやレベルが設定されるわけですね。

 

そうすることで、締め切り効果みたいなのもできて、頑張る生徒は頑張りやすいかもしれません。

しかし、そうすると苦しい生徒はやっぱり一定数出てきます。

落ちこぼれるという状態です。

 

そのペースはその生徒には合わなかったということです。

 

しかし、それは、あくまで、そのペースには合わなかったということです。

 

そのペースを設定している塾や学校と合わなかったというだけで、

 

その生徒に落ち度があるわけではまったくありません。

 

学校の場合は少し難しいですけれど(それとて実際は難しくない)、塾などなら、自分の子どもには合わなかったということで、違うペースやレベルを設定している塾に変更すればよいと思います。

 

塾なんていうのは、生徒を少しアシストしている程度のものだと思うので、自分の合うところに変えればいいと思うんですね。

(もちろん、我々は生徒にとってそれ以上の存在になりたいという希望とエゴ?を持って日々邁進しているわけですがね。。)

 

そもそもある特定の大学(や高校)に行くのが良いことなのかもわかりませんし、行くとしても現役で行くのが最善のことなのかというとわかりませんしね。

 

浪人してから頑張ったり、大学に入ってから頑張ったり、社会人になってから頑張ったりして、現役で良いとされる大学に行った人より充実した人生を過ごしている人なんて星の数ほどいますので。

 

もちろん、塾としては、なんとか塾のペースに巻き込むことで、勉強ペースをつくり上手く行って欲しいと思っていますし、あの手のこの手を使って必死にアシストしてるつもりですが、それでも限界はあるんだろうなと感じます。

 

限界に挑戦し続けたいとは思いますが。

 

なんか、言い訳がましい投稿になってしまいました。。