達観した大学生たち

松谷です。

昨日、チューターの先生が世間話をしていたのですが、なかなか達観しているなと感じました。

同調圧力に負けたら終わりやな。とか、

手当たり次第にエントリーシート出すような就活はしたくないな。とか、

動きのノロい会社には行きたくないな。とか、

大学名が採用に影響するような会社には行きたくないな。とか、

高校なんて、たとえついていけなくて退学や転校しても別にそこからまた頑張れば人生としては大して影響ない。とか、

 

様々な痛快な言葉が出ていました。

 

社会を本当の意味で知らないから何でも好きに言えるだけ、というようにとらえることもできますが、実際にはそういう尖った部分を持てることは素敵だなと感じました。

達観した大学生たちだなと。

 

さて、僕自身は会社を辞めている時点で一般的には世間のレールから外れた選択をしてしまっている?と思うのですが、

 

それでも塾では割と真っ当な?生徒さんたちの教育に携わっていて、大学受験というレールのなかで勝ちやすいように仕向けたりしている部分や、結果的に学校教育というレールのなかで教わる算数数学という科目の成績を上げて過ごしやすいようにしたりしている部分があると思います。

 

そうすると、たまに、本当に自分のしていることは、意味あるのかなとか思うことはあります。(レールを前提としてしまってますのでね。)

 

教えることは単純に好きですし、自分が教えたりすることで、分かって喜んでくれたりするのも損得勘定抜きに単純に好きです。

 

でも、あとはそれが、本当に子どもや生徒の幸せにつながるのかってところですね。

 

 

新しい物事の学ぶことの楽しさを感じてもらう。

学習習慣をつけてもらい、学び方を身につけてもらう。

算数数学ができるようになることで自分に自信をもってもらう。

数学のなかででてくる問題に対する対処の仕方の学習を通じて、世の中の問題を論理的に考え伝えられるような基盤を得てもらう。

理系に行くなら大学でも学ぶ数学の基盤を得てもらう。

 

こんな感じのことも同時に目指してるから意味はあるのかな。

 

一私塾にできる限界はあるのだから、稲荷塾を気に入ってくれる子にしっかりフォーカスして、自分のできることで精一杯支えてあげたらいいのかなとか。

 

 

まあ、何か少し考えさせられました。