子どもを怒ったあとは自己嫌悪に陥る

松谷です。

子どもを怒ったあとは自己嫌悪に陥る

だいぶ前、A会話で一緒だった大人の生徒さんが、そんなことを言っていました。

まだ、僕の子どもはすごく小さいですので、怒るといっても意味がわかってないときもありますし、イヤイヤ期?というやつでもありますから、あんまり彼女の心情を推し量って、それに対してこちらが後ろめたいとかそういうところまで行きません。というかそういう部分の葛藤を妻に頼りきっているんでしょう。

 

でも、僕にとっては、小学校くらいの生徒がちょうどそんな感じです。

つまり、彼ら彼女らを怒ったあとは、帰り道で多少自己嫌悪に陥ります。本当にあの言葉は必要だったんだろうかなどの葛藤があります。

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あっ、すごく生意気な態度だったり、授業を壊すような生徒に怒鳴ったときは何も思いません。そこを躊躇する必要はないと思っています。

 

 

そうではなく、算数数学ができないことに対して小学生に怒ったときです。なんで算数数学の理解が遅いくらいで、問題が解けないくらいで怒られなきゃならんのだろうって感じですよね。

 

そらそうですね。

 

ただ、本当に情けないのですが、今の僕は、ある一定の度合いを超えるスピードの遅さや理解の遅さを見せられると我慢ができないのとともに、心が折れそうになってしまいます。。

 

特に9-2とか、6÷3とかそういったものに10秒とかかけられてしまったうえに間違ったりされると、心が折れかけてしまいます。

 

わかってるんです。誰しもが最初にそれらを覚えたときには苦労しているわけじゃないですか。たぶん、僕もそうだったと思うんです。ただ、習いたてとかではないもうちょっと上の学年で同じような状況を見せられるとかなり辛いものがあります。

 

なんでやねん!そんなん一瞬でやらなあかんに決まってるやろ!

 

なんて怒声が、ついね。。。最初は抑えててもそれを5回も10回も繰り返されるとね。。。

 

それは、もちろん、どんな生徒にも数学をできるようにさせたくて必死に怒りながらも指導しているつもりなのですが、ただ、自分のイライラをぶつけているのかもしれませんし、実際はどちらなのかわかりません。

 

そして、それが行き過ぎるともちろん生徒さんは嫌になって塾を辞めていきますしね。

 

 

 

そういう意味ではカーメリアとかはすごいですよね。本当に僕をはじめ下手くそな英語を聞き続けても動じず粘り強く指導していますよね。

 

例えば一般的に英語ができる方とされる僕でも、かなりぶっ壊れた不快な英語しゃべってるなと自分で思う時が多々ありますけど、そんなのは全く気にしません。(ミスは指摘しますよ。)少なくとも気にする素振りをしていません。もちろん、生徒さんは初心者に近い子がいっぱいいますが、それに対しても同じように粘り強く接しています。

 

彼女の教育者としての性質、もしくは、フィリピン人としての気質がそうさせるのかもしれません。

 

そして、生徒さんがいることのありがたさの認識が僕よりもっと高いのかもしれません。僕が何か現状の恵まれている状況ににあぐらをかいているだけなのかもしれません。

 

まあ僕も人間として先生として親として精進していきたいと思います。

 

30歳超えても全然理想的な状態になっていなくて情けないですが。。。

そんなことを吐露している日記になってしまってすみません。。。。。