コミュニティーとネットワーク
橋本さんと闘ってきました。
5-8 で負けました。
しかしまあ、過去の成績では2個取ったのが最高で、橋本さんはミスしても笑っているし、レッスンみたいな対戦だったのです。
だから今日は4個取るのが目標でした。
ところがふたを開けてみると、私は昨日からのサーブの好調を維持して、試合も競っているじゃないですか!
橋本さんはミスしたらぼやき、いいポイントを取ると吠えて、明らかにファイトしていました。
5-5 のところで 40 オールになり、私にもチャンスがあったのですが、バックボレーをコートいっぱいに決められ、このポイントで私は足を痛めてしまいました。
これで同じ個所を3回連続で痛めたことになります。
すると次はサーブが入らずブレークされ、そのまま 5-8 でゲームセットでした。
しかし負けたけれども、何か嬉しいというか、もう少し上手くなれば勝てるかもしれないと思えるゲームでした。
ふむふむ、
もうちょっと頑張るか …
ところで、AJ Hoge はほんとにすごいです。
Effortless English のいくつかのコースのレッスンをそれぞれ毎月2本ずつ作るだけでも大変なのに、あっちこっちで講演をしたり、web セミナーを作ったり、とても精力的に動いています。
今朝、試合に行く前に聴いていたのは web セミナーのうちの一つで、5回シリーズのうちの1回でした。
https://www.youtube.com/watch?v=Cs0IMknlm5I
その1回分が1時間半ほどあるので、結構のボリュームですが、これをタダで提供しています。
それでその内容ですが、「まさにその通り!」と叫びたくなるようなものだったので、少し紹介しておきます。
これは Dumbing us down という本の主張を解説しているものです。
この本は私も興味があり、アマゾンで買って読み始めましたが、言葉が難しくて、遂に途中で読むのを断念しました。それを分かりやすく説明してくれるていました。
まず、コミュニティーとネットワークは違うと。
コミュニティーの最小単位は家庭で、その人の良いところ悪いところ、喜びも悲しみも、夢も課題も、すべて共有しているものです。
それに対してネットワークは、その人の一部を何らかの目的で共有しているものだというのです。
たとえば会社はネットワークで、人間性だとか全体像は隠して付き合うことができます。
さて、政府は学校教育を充実させ、教育内容を増やそうとします。
これは正しい方向でしょうか?
学校はネットワークです。生徒がどんな夢を持っているかとか、何に情熱を感じ、どんなことに悩んでいるかには興味を持っていません。そうではなく、単位を取ったかとか、成績はどうかといった生徒のごく一面にのみ関心を持っているのです。
これを増やすということは、生徒がコミュニティーに属する時間を減らすということであり、生徒は疎外感を感じやすくなるのです。
それでなくても家庭がネットワーク化してきているという現代社会では、生徒が心の悩みを抱えやすく、それに加えて学校での時間が増えるなんて、ダメに決まっています。
だから私は学校教育なんて、午前中で終わりにすべきだと主張しているのです。
それから、学校も塾もコミュニティー化する必要があると思います。
稲荷塾も数学を教えて終わりじゃ悲しすぎます。
確かに、授業ではどうしてもそのようになりがちです。でもせめて土曜日に勉強に来たなら、クラブの話や、志望校について話したり、喜びや悩みを共有することができるようにしたいと願っています。
家庭でも、本当に大切なことを見失わないようにしてほしいと願います。
それでは、そろそろ意識が朦朧としてきたので、このあたりで今日はおしまいにします。