「分かる」から「できる」へ
もう何度も書いていますが、「分かる」ということと「できる」ということは違います。
ですから、とても分かりやすい授業をしたとしても、もし生徒がそれを復習し、何らかの演習をする中でその使い方を確認しなければ、決してできるようにはなりません。
ということで、以前はしつこく「復習しろ」と叫び続け、復習ノートの作り方を説明し、それをまとめたプリントを配り、授業ごとにやっているかどうかを確認していたわけです。
しかしそれでも、やるべきことを実行する生徒は少なかったのです。
今、反転授業を始めて、自然な形でみんなが問題を解いてくるようになりました。
「稲荷の独習数学」を読んで、次の単元の内容を把握したならば、テキストのそれに関連する問題を2ページ分解いて来ないといけないからです。
テキストの問題を解こうと思えば、必ず「稲荷の独習数学」に戻らないといけないです。「分かった」と思っていても問題が解けるようにはなっていないので、目の前の問題の類題を「稲荷の独習数学」の中で見つけてその説明を読み直すのです。
こういう「稲荷の独習数学」と「テキスト」を行ったり来たりする作業の中で「できる」ようになっていきます。
こういった作業を自然な形でみんながするようになったということです。
その結果、以前の2倍のスピードで進むようになったのに、全体の成績は上がりました。
まあ、奇跡だと思います。
ただ、「何かの値を求める」ようなタイプの問題は結果が出やすいですが、「何かを証明する」ような問題についてはいい加減になりやすいと感じています。
昨日も数ⅠAの授業で、どうして二次関数のグラフが軸対称であるかを証明する問題のできが悪かったです。
理解したことを、自分で鉛筆を持ってちゃんと再現するような勉強をしなければなりません。
分かってお終いとか、類題の解答を数字だけ変えて写してお終い、のようにしていてはいけないのです。
分かったなら、それを見ないで自分で再現してみなければなりません。
ひどい場合は、似てるだけでまるでつぼを外していたり、本質的には理解していないことが丸分かりの答案を書いていました。
これは一つのチャンスなので、
「そんないい加減な勉強をしていてどうするつもりだ?!」
と、30分も延長しながら、こってりと絞っておきました。