京大特有の問題について

昨日、京大の問題を解いてみたと書きましたが、その後、予備校の講評を見てみると意見が割れていました。

駿台では易化したとしており、一方、河合ではやや難化したとなっていました。

おもしろいですねぇ!

予備校によって捉え方が違うということです。

 

それで私はどう感じたかと言えば、難易度はそんなに変わっていないと思いました。しいて言えば、やや易化でしょうか。

しかし、昨日も書いた通り、京大っぽい問題が並んでいたと感じたのです。

この「京大っぽい」というところがミソで、人によって感じ方が違うと思うのです。

 

通常、一般大学の入試問題では学んできた技術を適用することが要求されます。

要するに、そのレベルまで勉強して来たかどうか、もっと露骨に言えば、知っているかどうかが問われるということです。

しかし、京大では「知らないこと」「抽象的で意味が分からないこと」「複雑でどこから手を付けていいのかが分からないようなこと」が問われます。

ということは、知っているかどうかに答えるのが入試だと思っている生徒は、こういった京大特有の問題に直面したとき「すみません。勉強不足です」と謝り、そこで思考をストップさせるのです。

しかし実は、京大入試においては知っているかどうかが問われているわけではなく、「どうすればいいか分からない」と思ったところがスタート地点なのです。

もちろん最低限の知識は必要です。

ですが、その知識があるかどうかを問うているのではなく、それが使える形に問題文を読み解く力があるかどうかを問うているのです。

たとえば、

「n^3-7n+9 が素数になるような整数 n をすべて求めよ」

なんて聞かれたら、誰も知らないわけです。

でも、3を法として考えたら、n^3-7n+9 はいつでも3の倍数になることが分かるので、この式が3になるときを考えればよく、そうすると簡単な3次方程式を解く問題になります。

これは今年の京大の問題の2番ですが、私は30秒ほどで答えを出しました。ついでに、「-3も素数と考える」という立場もあるかも知れないと思い、それもチェックしました。それでも3分ほどで終了です。

つまり超易しい問題ですが、標準的な問題集には絶対に出て来ないタイプの問題ですし、そういった問題集でのみ勉強して来た諸君にとっては、「難しかった、手が付かなかった」となるのです。

この問題では「そのような話は知りませんが、じゃあ3を法として考えてみましょうか?」と思考をスタートさせることが重要なのです。

 

こういった標準問題と京大っぽい問題との違いをどのように捉えるかによって簡単であるか難しいかという評価が変わってきます。

京大特有の問題にある程度慣れている生徒にとっては「易化」、これが駿台の立場で、京大っぽい問題が増えたので「やや難化」、これが河合の立場だったのだろうと思います。

 

さて、「知らないこと」「抽象的で意味が分からないこと」「複雑でどこから手を付けていいのかが分からないようなこと」が問われたときの思考法や発想の仕方は訓練次第で身に付けることができ、稲荷塾では「演習2」の授業の中でそれを伝え、トレーニングします。

一方予備校の授業では、高い観点からの非常に冴えた解法が示されることが多く、それは刺激的で楽しいものです。しかし問題は、そのような発想が自分でできるようにはならないということです。予備校の講師と受験生では知識の背景が違い過ぎるからです。

では、「知らないこと」「抽象的で意味が分からないこと」「複雑でどこから手を付けていいのかが分からないようなこと」が問われたとき、高校生の知識の範囲で自然に発想することはいないのでしょうか?

これがこの仕事を始めたときの私のテーマでした。

そして見つけました。

それを「演習2」の授業の中で伝えるということです。

私の知る限り、このような内容をテーマにした授業をしているところは稲荷塾だけです。