2倍の進度で進み、しかも理解は深くなった!

久し振りに晴れ間が出て、喜んでトレーニングに行って来ました。

スケリトンや競輪の日本を代表する選手と一緒に(正確には同じジムで)トレーニングすると、何か盛り上がります。それで汗だくになるまで頑張って帰って来たら、シャワーを浴びるのが寒かったですねぇ。

はっきり季節は変わりました。

 

さて、このごろますます数学にはまっています。

まあ、中途半端にしか勉強してこなかった大学の数学を学び直してみようとしているわけです。

基本的に、ネットでそれらしい講義を探して聴くというやり方で学び、概略が分かってから本でしっかり学んでみようかと考えているのですが、ネットにアップされている授業は大概上手です。

大学の先生もこういうふうに講義してくれればもっと分かっただろうになどと振り返っています。

この頃は私立の大学では、生徒が先生の授業を評価するシステムが出来上がり、人気のない授業をしていると首が飛ぶそうですが、京大なんかだったらどうなんでしょうか …。

あとで聞いておきますが、おそらくそんなんはないんじゃないかと思います。

 

それはそうとして、自分自身を振り返ってみると、昔は恥ずかしいような授業をしていました。

間違いも多かったですし、何と言っても効率が悪かったです。

それは自分が一段上がるたびに、まずかった点に気付いて、当時の生徒に申し訳なく思うのです。

でも案外、若かった頃の方が勢いがあって、それに生徒との年令が近かったこともあり、今に至ってもまだ続く人間関係ができたり、何より彼らは「下手くそな授業だった」とは思っていないようなので救われています。

とは言っても、実際は下手くそでした。

それが少しずつ改善され、成長して今日に至ったわけですが、今新たに「教えない教え方」に挑戦しています。

要するに反転授業のことで、「分かりやすい授業をする」ことより「生徒が自ら学べるようにコーチする」ことの方が大切だと悟ったのです。

これを、「Z会の通信添削を使って自分で勉強するのと同じだ」と批判した人もいましたが、実際はまるで違います。

反転授業では、生徒が自らある程度のところまで仕上げて来るということが大切になり、そうしてくるのが当たり前だという空気を作ることが講師の役割です。

そうすると、生徒の意識に働きかけることが我々の仕事になり、それがうまく行くまではさまざまな葛藤が生じます。

上の批判もそういう過程で生じました。「もっと分かりやすく教えてくれ」と思っているような受け身の姿勢では、反転授業に参加している意味がありませんし、成績の伸びにも限界があります。

この意識を反転させることができれば、状況は一転します。

 

これで反転授業を始めて1年半が過ぎたことになりますが、「状況は一転した」と思います。

もちろん課題はたくさんあり、もっともっとレベルを上げて行きたいと考えていますが、反転授業の効果は出てきており、「2倍の進度で進み、しかも理解は深くなった」が標準化されつつあります。

たとえば昨日の数Ⅲの授業は微分の最終回でしたが、みんな微分の基本計算ができるようになっていました。9月から始めて1か月半で、です。以前だと1年かかってもできない子はできなかったのです。

 

すごいでしょう?!