文武両道は二流?②
松谷です。
さて、先日の、文武両道は二流①?という記事の続きです。
僕個人としては、文(勉強):武(部活など)が8:2でも、2:8でも文武両道であると思っています。
で、どちらにどれくらい投資するかは自分のプライオリティと目標設定と自分の現状の能力にかかわってきます。
具体的に考えてみますと、
正直、東大京大合格と地方県のインターハイ出場くらいだったらぎりぎり達成できる目標だとは思いますが(事実、大学にはそのような感じの人はちょこちょこ見かけました)、京大医学部現役合格かつ大阪で甲子園出場、京都や大阪でのテニスのインターハイ出場となるとまあ普通は苦しいですわな。(これはイメージとしてはサッカーで国立に行くのに、甲子園にも行くみたいなイメージですね。)
いずれにせよ、上記の二つともに言えますが、もしそれらは達成するとしても、かなりの割合を武にふらないと達成はできないでしょう。
多分、割合としては、文2:武8か、1.5:8.5くらいにしないと達成できないと思います。でも、もし、プライオリティが東大京大合格の方にシフトしてきて、このままでは苦しいなと思ったら、文4、武6くらいにしても仕方ないことなのかもしれません。ただし、その場合よっぽど運か才能がないとインターハイ出場か甲子園出場は夢と消えるでしょう。それを妥協という人ももしかしたらいるかもしれませんが、自分のプライオリティに従ったことなので責められることではないかなと思います。もちろん、どうしてもインターハイ出場や甲子園出場をしたい場合は、文1:武9にシフトするのも一つの選択でしょう。浪人も覚悟したうえで。
この中で、もうひとつ思うのは、本当に「前向きに」9割や10割の力や時間を武や文の片方に投入できるっていうのも一種の才能だと思うんですね。
普通は9割や10割の力や時間を同じことに投入するっていうことは、体力的にも、精神的にもかなりの疲弊を引き起こします。マンネリズムが訪れる場合もあるでしょう。そうすると、上達とかの正しい連鎖の中にいることができなくなります。そうすると、ただ、義務的に9割やることになる場合もあるかもしれませんが、それはまったく意味がありませんね。
それならば、少し割合を減らして他のこともしながら、ある意味リフレッシュした状態で、集中したい方の武または文に臨むという方がいいのではないかと感じます。逆にどれだけやっても、ずっとそういう疲弊やマンネリズムを引き起こさずフレッシュに頑張り続けられるなら、それは才能だとも言えるということです。
ただし、プロアスリートである羽生くんはオール5の成績だったみたいですし、極めるレベルの武を目指していてすら、文武両道は無理ではないとは思います。
もちろんまったく勉強しなかったプロアスリートもいますが、それが一流になる必要条件ではないということだと思います。
では、文(勉強)に9割投資して、部活には参加せずに、趣味程度に、テニススクールに通うだけとか、好きな漫画同好会の活動にちょこちょこ参加するだけとかで、武(部活など)に1割の人は悪いんでしょうかね?
それはそれで、その人なりの両道なのかなと思うわけですね。
結局、僕は、その人が、中学生高校生の間に、何かに一生懸命取り組んだという経験が必要だと思っているわけですが、それは勉強でも部活でもそれ以外でもいいとは思っています。
もし、できることならば、その柱となる経験に加えて、同じ程度ではなくてもサブとなるような経験が別にあった方が、自分の考え方にも幅が出来ていいと思っています。
そして、学生にとって、文(勉強)は、柱となる経験にも、サブとなる経験にもなりやすいものだと思います。なぜなら、極めていろいろなレベルで自分の成功を感じやすい分野だからです。
学校の朝(?)の小テストで勝つなんて、スポーツの本気の試合で勝つとかの100倍簡単でしょ?
ちなみに、僕個人としは多分、文2~3割(勉強系)、武7~8割(部活、趣味)くらいの投資割合だったと思います。
イメージ的には学校の授業以外の時間を何に使うかという割合を示しています。これは、多分スポーツ系の部活をやっている人は高2までは正直こんな感じになる人が多いと思うんですね。
それでやっていったときに、自分の目標に到達できないと思ったら、文の割合を少し増やしたり、武の一部を削ったりという調整をすればよいと思うんですね。
結局、だいたいの進学校は、高3になったら、文に完全投入できる人も多いでしょうし。
最後に、改めて、武(部活など)に全部投入する場合においてのみ、そこに潜むリスクについては覚悟はしておくべきだと思います。
これは、もちろんきらめく才能がさらに輝く可能性もあるのですが、あとあと取り返すのがかなり苦しい負債をかかえる可能性も結構あります。
それを分かったうえでなら全力をかけたらいいかもしれません。あとは、その人の人生ですから。