毎日見ている人や物には成長が見えづらい説

松谷です。

僕は、ちょっと変なんですが、いつもと違うとりくみをしたあと、いつものとりくみに戻ったときの成長実感が好きなんですねぇ。

 

例えば、僕は単語帳で単語を一気に覚えたりしたとき、その後に、いつもやっていたような何かの読解素材とかを読んだりする場合、結構どきどきしています。

 

もしかしたら、何やら景色が変わっているんじゃないかと思うからです。

 

僕は、高校のとき、その体験をした時に、衝撃的な感覚の違いに興奮したのを覚えているんですね。それで、なかば中毒になってるんですねぇ。

 

普通は、成長って少しずつ訪れるものなんですが、その少しずつって自分では認識できなかったりすると思うんですね。

 

そこで、気分転換も兼ねて?少しやることを変えてしばらくしてから戻ってくるんです。そうすると、おっ、なんか、変わってるんちゃうの?!と思ったりするわけですね。

 

一年に一回会う、親戚のおっちゃんが、いっつも「おっきなったなぁ」っていうあれと同じ理論ですかね。

 

同じかどうかわかりませんが、例えば普段の数学の学習とかも何やら一つずつが地味に積み重なっている感じなので、もしかしたら、普段の学習のなかで、いつももがき苦しんでいるだけで、成長実感を感じきれてない人もいるかもしれません。

 

ともすると、教える側も、その変化を感じられない可能性もあるんですね。(もちろん、感じようと努めてはいますが。)

 

でも、ふといつもと違うような模試にトライしたり、ふと実力テストを受けたり、ふと違う集団に入ったり、ふといつもと違う教材をやってみたりしたとき、ふと友達に教えたりしたときに、明らかな自分の今までとの違いを感じることもまたあるんではないかと思うんですね。

 

 

そんなときの感動を大事にしてくださいね。

 

 

でも、もしかしたら、心の余裕がなくていろいろ感じれないときってあると思うんですね。でも、きっと、いつかそういう時が来ますよ。本当に頑張ってる人には何かが微笑むものですねぇ。そう信じています。