学校を作るぞ(その4)

リーダを育成するための教育をすべきで、労働者を育成するための教育をすべきではない、と書きました。

ここで言う「労働者」とは、言われたことだけをこなすような、いわゆる産業時代に必要だった労働力のことです。

しかし今は時代が進み、情報時代に入りました。ここでは自ら考えて、新しい価値を生み出すことができる人が要求されています。

そうすると、「じっと座って、先生が言う『正しいこと』を聞き続ける」という授業スタイルが本当にいいのかどうかを考えてみなければいけません。

それに、レベル的には中から下に照準を合わせ、落ちこぼれが出ないようにと気を使いながら、均質な労働力を生み出そうとする姿勢も見直す必要があります。これはトップ層にとって、全くの退屈でしかありませんから。

さらに、特に中学以降は定期テストを通して、「正しい」知識をたくさん持っている子が優秀とされていく評価基準も全く現実的ではありません。

このように考えて行くと、現行の学校制度は不備があり過ぎて、機能していないと言ってもいいぐらいです。

ところが、「では一体、どんな教育をしたらいいのか?」と問われると、それに答えるのは簡単ではなかったのです。

 

ガットはこれに一つの解答を示しました。

 

リーダーを育成するための教育をすべきだとして、教える内容については14の項目に分けて説明しています。

その第1は、人間を理解するために歴史、文学、宗教、哲学を学ぶということだったと、前回書きました。

 

では第2は何でしょうか?

 

それは、

人が納得できる文章を書くこと、そのライティング技術、それから説得性のある説明をするスピーキング技術です。

すごいですねぇ!

コミュニケーション能力を読む、聞く、話す、書く、の4つに分けるとき、前2つは情報を受信するための能力で、後2つは情報を発信するための能力です。

我々が受けて来た教育では、ほぼ全面的に受け身の姿勢を要求してきたと思いませんか?

しかし、ある知識を本当に身に付けようと思えば、これではいけません。

私も授業で、できなかった問題を解答を見て納得すれば、解答を見ないでそれを自分で書いてみることを勧めることがあります。

解説を軽く読んで、「分かった」などと言っている子は絶対にそれを再現することができません。

一方的に受け入れるのではなく、「ん?どういうこと?」などと問い返しながら、解答と自分との間でやり取りをして、初めて自分で解答を作ることができるようになるのです。

でも、実はもっといい方法があります。

一番いいのは、人に説明することです。

十分に分かったつもりでも、人に説明しようとして話し始めると、自分の理解に不備があったと気付くことがあります。

これは私自身の経験談ですが、教えるようになって初めて高校数学を理解したように思います。

「稲荷の独習数学」を書いたときもそうでした。自分の理解が曖昧だったところ、間違って理解していたところ等がいっぱい出て来ました。

どんな分野でも、そうなっています。情報を発信しようとして初めてそれを理解するようになるのです。

ですから、ガットが教えるべきことの2番目として「書く、話す」を上げているのはすごいことなのです。

To be continued