「学び」の第一歩

「新しく学ぶことを板書する、生徒がそれを写す」それから説明を開始する、という授業スタイルが一般的ですが、「…」の部分に多くの時間が取られ、非常に非効率的です。

稲荷塾の反転授業では、生徒が家庭で新しいことを学んで来ます。「…」に加えて、その説明までが「稲荷の独習数学」に載っているので、それを読んで、さらにテキストで関連の問題を解いて、大体のことが分かったという状態になって教室に来るのです。

教室ではそのポイント講義をします。これまで2時間の授業を2回かけて説明してきたことを1時間でしてしまいます。その後は小テストをして定着度を確認し、最後に演習をします。

驚くほどの効率の良さです。

そして今、ひょっとしたら学びとは本来もっと自主的なものなのかも知れないと感じています。

つまり、新しいことを教室にじっと座って教わるというのはどうなんだろうか、と感じているということです。

「稲荷の独習数学」はかなり丁寧で親切な参考書ですが、それでもそこから新しいことを学び取るのにはエネルギーが要ります。これを入門編として、自らリサーチし、自分のほしい情報を探し出していく力を身に付けてほしいし、そういう能動的な行動が「学び」ということではないのかと思うのです。

 

私が大学3年のとき、それまでさぼっていたことを反省し、本を取り出して一から学び直していたところ、それは物理数学という授業だったのですが、担当教官の今村先生から「君は何をしているのかね?」を聞かれました。基礎がなっていないので、学び直しているのだと伝えると「今頃そんなことをしていて間に合うと思うのかね!」と叱り飛ばされました。

要するに、先生から見たときの最低ラインを割っていたということです。

私自身もそのように感じました。

しかし、

結果的には間に合ったのです。

このようなことが何度もありました。

これを通して、私は重要な教訓を学びました。

山のような課題を前にして、通常の方法では通用しないと感じるとき、唯一の突破方法は、一から地道に行くことだと悟ったのです。

自分の状況や弱点は自分が一番知っているはずです。

だから、自分のやるべきことは自分で決めるべきです。そしてその道を自分で探すのです。

 

そういう意味で、新しいことを自分で学んでくるというスタイルは、つまり稲荷塾の反転授業のことを言っているのですが、それは単に効率がいいというだけではなく、学びの第一歩なのではないかと思うのです。