諦めないということ

松谷です。

稲荷先生に続いてですが。フェデラーナダルの決勝、ほんとにほんとに素晴らしい試合でした。

僕が今まで見た試合の中で、込められた意味も考えると、一番良い試合だったんじゃないかと思います。フェデラーファンをしていて、テニスファンをしていてほんとに幸せな瞬間でした。

そして、昨日は、「諦めない」ということの大事さを2つの意味で見ました。

 

ひとつは、強大な敵や壁にぶつかったとき、何度跳ね返されても、努力を重ね、工夫を重ね、自分を信じ続けて、諦めずトライし続ける大切さです。

フェデラーは、35歳ですが、ここ、しばらくグランドスラムの決勝という舞台では、ずっと勝てていませんでした。また、それ以上に、ナダルやジョコビッチという2人の強敵にあたったときには、ことごとく決勝で跳ね返されるという状態でした。年齢のこともあり、周りからはもうフェデラーの優勝は無理だ、フェデラーは終わったと言われていました。しかし、彼はトライし続けました。もちろんうまくいかないことが多かったのですが、その間も確かに向上し続けていました。そして、今大会、すべてが噛み合い勝利をすることができました。やはり、チャンスは、なかなか来なかったり、結果を出すことは、なかなか難しいときもあると思います。それでも、腐らず、もしそのチャンスが来た時にものにできるように準備をし続けるというのが、ほんとに大事な姿勢なのだと感じました。

すごく、勉強しているけど、定期テストとか、模試になると、緊張したり、ミスしたりして、なかなか結果がでない。でもそんなときでも、確かに勉強を続け、ミスの原因を突き詰めて、努力し続けたとき、報われる可能性が高いのではないのでしょうか。個人的には、勉強はスポーツより努力が確率的に報われやすい競技だなと思います。

 

ふたつめは、試合中に劣勢になっても、チャンスを逃しても、ずっと諦めずトライし続けたということです。実はファイナルセットは一番最初にナダルにブレイクされて、ずっと追いかける展開でした。(ちなみにテニスにおいてトップ選手のサーブをブレイクできる確率は約10から20パーセントしかありません。)

しかし、ぎりぎりの攻防を続け、2ゲーム連続ブレイクチャンスを迎えました。しかし、悉くスーパーショットで返され、弱気になってミスするという形でブレイクできませんでした。

しかし、さらにもう一度次のゲームでブレイクチャンスがきました。

しかし、このゲームも、スーパーショットにはばまれて、無理か、、

と誰もが思ったところ、彼は諦めませんでした。気持ちをきらさず、自分を信じ続けついにブレイクを果たしました。

 

受験生とかでも、試験とかに取り組んでるとき、数学の問題とかに取り組んでるとき、わからない、この手でもだめだ、この手でもだめだ、もう無理、やーめた。と、なることがあるかもしれません。でも入試とかでは、もうやーめた。無理やわ、来年がんばろというのは、どうでしょうか。

実際、2つめの技まででは、だめでも、実はぎりぎりのところまできていて、3つめの技では行けるかもしれないわけです。

試験中には、最後まであきらめないという精神性がほんとに重要なのかなと思います。

(もちろん、冷静にいったん飛ばして他の問題にトライしなければいけないときもあります。それはまた別の戦略の話ですね。)

 

ここで、ひとつ僕の経験談を。確か、東大の入試の英語の問題でした。そのとき、東大では、初めて英文の段落を正しく並び替える、段落整序という問題がでました。

僕は最後に回したその問題に、15分くらいかけてました。文章の途中の5つくらいの段落を並び替えるのですが、なんとなくわかるのですが、どうにもしっくりきません。でも諦めずあーでもないこーでもないと考え続けました。

そうすると、1分くらい前に、稲妻のように、この並びしかない!というのが見えました。ぼくは、正解を確信した喜びと残り数十秒以内に正しい答えを書ききらないといけないという恐怖の両方の感情でガタガタと震える右手を左手で押さえながら、すべての並びを消して書き換えました。結局これは正解で、恐らく10点を得たのですが、要は1分前までは、0点だっ たのが、最後の粘りで10点になったわけです。