教育熱心(前編)

昨日の続きを書きます。

教育熱心に2つのタイプがあるという話でした。

一つは親がその分野で成功してきたから子どもにも同じようにさせようとするタイプで、もう一つは親がその分野で思うような結果を出すことができなかったので子どもに期待をよせるというものです。

たとえば、親が中学受験をしてそれがよかったと感じていれば、子どもにも中学受験をさせるということになります。

この場合、どのように準備すればいいのかを親が知っているので、先手先手で手を打ち、その結果子どもは順調な滑り出しを見せます。

しかし必ず試練が訪れます。

まず中学受験がうまく行くかどうかが分からず、仮にうまく行ったとしても、子どもが中高生になり自立心が芽生えて来るに連れ、ああしてこうしてと親が先行しようとすることに対して子どもが反発し始めるのです。

次に、親が自分のやり方はよくなかったと感じている場合はどうでしょうか。

やはり親は何とかいい方法はないかとリサーチをし、適切と思われる道を探し、子どもにその道を行かせようとします。

これが教育熱心の第二のタイプです。

この場合、親が先行し過ぎると、子どもにはそのモチベーションがないので、しぶしぶついて行くという形になりやすく、やはり思春期に入ると問題が生じます。

子どもからすれば、自分にプレッシャーをかけて来る親に矛盾を発見するのです。やれっと言っている親自身はやって来なかったのではないかと。

結局、教育熱心の2つのタイプのどちらも、子どもが中高生になるころに大きな課題にぶつかることになるのです。

要するに親子の関係がより本質化するということです。ノウハウや言葉そのものではなく、その出所であるところの親の生き方が問われるようになるのです。子どもが成長し、中学生ぐらいになると、言い訳は通用しません。どんなにうまく繕おうとしても、見えてしまうのです。

そうなると、親が勉強の分野で成功したかどうかは関係がなくなります。親が誠実に一生懸命生きていれば、それは伝わり、そうでなければ、それは、ばれてしまうということです。

to be continued